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大工屋的雑談部屋

大工屋は50年生まれで親父の工務店
の仕事をしている大工です。

そもそもガキの頃から美術や工作は
結構たけていたほうでした。
しかし、努力することは大嫌いでたいした
学もないまま高校へただ通う日々が続き
(でも人当たりはよかったのか生徒副会長など
をこなしました。)

その頃に旧車に目覚めた?のか、仲間が免許
を取って初めて買いたい車は?の問いに、
胸を張って「ハコスカ」と答えていました。
みんなはPS−13シルビアやハチロクっ!と
言っていたのを思い出します。

相変わらず努力なき進学で某建築専門学校へ
進学し、卒業後に親父の会社に入りました。
仕事をする傍ら、夜学に通い2級設計士の
資格を取りました。

そんな頃にハチロクと出会い、無二の友?の
ように付き合いが始まったのです。
(やっと前振り終わり。)


ハチロクと共に。

ハチロクを買ったには理由があります。
いきなり初心者が旧車だと潰してしまうかも?
まだ旧車を買うほど資金はない。
後輪駆動の車に乗りたい。
等でDR−30鉄仮面かハチロクか?となりました。
鉄仮面はタマ数が少なく、安いハチロクで3ドア
とレビン、フルノーマルだった今のハチロクと
なりました。
Dブームとかはなかった頃です。
買ってすぐやったのはホイールの交換です。
旧車は8スポークだ!(謎)でブラックレーシング
の6Jを個人売買で買い、装着しました。
あとは腐っているマフラーをアペックスの
メガホンマフラーへ交換しました。もちろん
車検対応品です。この頃はそれで満足して
いました。

そんなある日、近場でレビン&トレノのチーム
作りませんか?と言うのが雑誌に載っていて
すぐ自己PRを書いて送りました。
まだインターネットなんかない時代です。
そしてチームを作り夜な夜な走りました。
ホントに仲間に合う日が楽しみで、土曜
の仕事仕舞いになるのに心躍らせていました。

チームに入ったことで改造もエスカレートし
車高調、直管マフラー、ロールバーと
走り屋車と化したのでした。


自分にとってハチロクとは?

当初、ハチロクへの拘りはあまりなかったのですが、
痒い所に手が届くパーツ?(変な例えですが。)
が多いためにやたら変な物を集めたがります。
それが弥生に繋がったのでしょうか?
例えばライトカバー。旧車なら当たり前のレース時に
ライトを覆うものでハコスカやS−30、セリカ等、往年
の名車なんかではよく知られたものです。
ライトカバーがハチロク前期用が埼玉のショップに売って
いてそれをボディカラーの赤に塗りグリルレスにすると
おお!バリかっこいいやん!
連れからは「族車〜っ。」の声。しかしその後ネット
オークションで後期ライトをGETすると付かなくなってしまいました。(T。T)
ホイールも元は6J派で(?)アドバンA3Aを普段履き、サーキットでは
ハヤシストリートのR86にSタイヤと言う普通のハチロクでした。
しかし6.5Jのロンシャンからホイールに目覚め?てスターシャークUの
7Jへそしてワタナベ7.5J、ハヤシ8J、テクノファントム7.5Jへ
弥生にと正常進化?したのです。
そのほかもレアなホイール特に変わったスポークのホイールが好きです。
色々集めたんですが履かない物も多く、譲ってもいいかな〜なんて思うこの頃です。
話がかなり逸れましたね。
ハチロクは当初、次の旧車とのつなぎぐらいしか考えていませんでした。
しかし乗ってみるとこんなに、人に運転する楽しさを教えてくれる車は
他には見当たりません。運転してよし。 イジってよし。 磨いてなおよし。
旧車ミーティングに参加してさらに楽しい。
あっちこっち壊れたり錆たりするけど降りる気はさらさらないです。
かけがいのない友達や一生付き合っていきたい友達がたくさん出来ました。
これもハチロクに乗ったからでもしもミニバンあたりを買っていたら
今頃の自分はどんな生活を送っていたのでしょう。


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